永遠の花 第8章





恐れられる前に 





嫌われる前に 







いなくなりたいの 
















このまま、何も考えず……何も感じず………





時の流れに身をまかせ










時間のアルゴニズムに溶け込んでしまえばいい……… 












私はここにいる……







永遠の花 第8章



[newpage]







バラム・ガーデンを出て、5年の月日が経った。





「お嬢様、お茶の準備ができました」





白い髪を品良く後ろでまとめた女性は、少し曲がった背に白いエプロンを掛けていた。彼女は濃いグリーンのブラウスに黒色のフレアスカートを履いている。 

彼女はソファーの前に置かれたテーブルに、ティーセットを置いた。



「ありがとう……」



その持ち主は、読んでいた雑誌をテーブルに置いた。
長い黒髪を掻き上げた。




「……ねえ、スザンナも一緒に飲まない?」


彼女はにっこり笑いながら、自分のために注いでもらったティーカップを持ち上げて見せた。



「父から聞いたんだけど、今度、何かパーティーがあるんでしょ?どんなドレスを着ていこうか考えているんだけど決まらなくて」 



「まぁ、そうですか。わたくしもご一緒してよろしいのですか?」
スザンナと呼ばれる女性は、優しい笑みを浮かべていた。


「ええ、もちろん。カップをもうひとつ持って来るわね」



黒髪の若い女性はすくっと立ち上がり、キッチンの方へ向かった。


「お嬢様、わたくしがやりますから……」

老女が慌てた様子でキッチンの方へ向かおうとした。しかし、老いた身体は意思とは反対に素早く動くことはない。


「いいの、いいの!」と部屋の奥から明るい声が聞こえる。



黒髪の若い女性は、白いティーカップを持ってきた。


「腰、まだ良くなってないんでしょう?無理しないで」



そう言いながら、テーブルに持ってきたティーカップを置いた。



「ありがとうございます。おかげさまで、だいぶ良くなりました。……私のような年寄りを、使って頂いて、旦那様とお嬢様には感謝の気持ちを何と申し上げたらよろしいか……」

スザンナは皺だらけの両手を揃え、深々と頭を下げた。



「よしてよ。……私も父も、スザンナに感謝しているわ。……5年前、わたしがこの家に戻ってくるまで、よく一人で父の世話をしてくれたと思っているの。ほんとにありがとう」


彼女が「座って」と合図をすると、スザンナは、ソファーと同じ革が張られた背もたれのない小さな丸椅子に座った。



「……わたしもこの家にいるんだし、あなたは少し身体を休めてちょうだい」



彼女はもう一口紅茶を啜り、カップをソーサーに戻した。



「これでも、カーウェイ家の一人娘だからね」



にやっと彼女は笑って見せた。







そのおどけた表情が、名家のご令嬢に相応しいかと言われれば、そうではないのだが、スザンナはそんな誰にでも分け隔たりなく接する彼女の気さくなところがとてもいいと思った。



二人は顔を見合わせて、同時にふっと吹き出した。明るい笑い声が部屋に響いた。





二人は雑誌を手にしながら、あれやこれやと次のパーティーに着ていくドレスやバックを考えていた。



突然、スザンナがはっとなり、手を合わせながら言った。

「次のパーティーにきっといいでしょう、お嬢様にぴったりドレスがありますわ」


スザンナは立ち上がりながら、にっこり微笑んだ。



「どんな…?」

目を丸くさせてリノアは聞いた。



「クローゼットを整理して出てきたのです。旦那様と奥様が結婚される前でしょうか、奥様が着られていたドレスです」



立ち上がったスザンナは「取って参ります」と行って、ドアの向こうへ消えて行った。





「……………」


部屋で一人になったリノアは、黙って紅茶を啜った。


床から天井まであるまであるような大きなガラス戸の向こうの庭の芝生では、アンジェロが黄色の2匹の蝶と戯れている。


そう、自分にはこうゆう時間があるだけで十分過ぎるくらいに十分なのだ。

リノアは思った。

本当ならば、監禁されて、封印されても仕方ない身であったから。


ガーデンを離れてから5年の月日が経とうとしていた。



彼女はますます美しくなり、艶やかな黒髪は腰のあたりまで伸び、母親に似るようになった。



魔女大戦に身を置いたことやガーデンにいたことが夢か幻であったかのように、その日常は流れていった。



その心の中を除いては。


いつだって、かつて一緒に戦った仲間たちのことを気にしていた。

毎日、新聞には全て目を通していた。

テーブルの上に置かれた新聞の片隅には、『ティンバー 過激派レジスタンスアジト 制圧』という見出し記事があった。

リノアはその記事に気付き、本文を読んだ。
『ティンバー市街地で活動があった反ガ過激派レジスタンスのアジトがティンバー軍第16部隊により一斉制圧された。一昨日より、武装したレジスタンスとティンバー軍との銃撃戦が起こり、死傷者10名が確認され。ティンバー軍は苦戦を強いられていたが、昨日、スコール・レオンハート准将率いる第16部隊が投入され、過激派レジスタンスのアジトは制圧された。今回の一連の流れに関して、過激派レジスタンスの制圧は、来月のティンバー独立記念日パーティー後に予定される、ガ大統領との首脳会談に向け、ティンバーの治安維持と政府機能を示す結果になるだろうと専門家は推測する………』



リノアは記事を読み終えると、新聞を再びテーブルに戻した。 





本当はいつだって気にしている。

怪我をしていないだろうか… 


辛いことがないだろうか…… 


この世から消えてしまわないだろうか……


誰かと出会っていないだろうか……




[newpage]







リノアはこうして、仲間たちの安否を確かめていた。

新聞に限らず、軍人の父親がいる為に、各国の情報がこの家に入ってきた。



キスティスは教官としてバラム・ガーデンに残り、ゼルは憧れていた祖父と同じくバラムに留まった。セルフィはトラビア・ガーデンの復興を目指すと共にトラビア軍に入った。アーヴァインはガルバディア軍に入り、今は父親が直接に管轄する特殊精鋭部隊にいる。アーヴァインだけは、同じガルバディアにいるということもあって、時々顔を合わせることがあった。





新聞を読み終え、もう一口だけ紅茶を啜ると、家政婦のスザンナが部屋に入ってきた。彼女は深紅のドレスを抱えていた。



「こちらです。奥様が着ておられました。お嬢様にきっとお似合いでしょう」


笑顔でそう言うと、ドレスの両肩を持って、リノアの肩に当てた。

リノアは立ち上がって、スザンナからドレスを受け取り、鏡の前に移動した。



「素敵・・・・・・」
手触りのよい生地を通して、大好きであった母親を感じることができた。


ガーデンにいたときのような少女らしいあどけなさは消え、彼女には大人の女性としての艶やかさが増しているときであった。彼女の母親が纏っていたこのドレスは今のリノアにきっと似合うだろうと、スザンナは思っていた。



リノアが鏡の前でドレスを身体に当てた姿を見ていると、部屋にもう一人の人物がはいってきた。




「懐かしいドレスだな」






「おかえりなさい」


リノアは振り返り、この家の当主に笑顔を向けた。



カーウェイ氏がコートを脱ぐのをリノアは手伝いながら言った。


「来月のパーティーにいいかもしれないと思って……スザンナが出してくれたの」



父親の表情が懐かしさと温かさを含んでいたので、楽しそうにリノアは言った。



「よく似合っている」


口数がさほど多くない父親はそれだけ言うと、ソファーに腰掛けた。



「お茶を準備して参ります」とスザンナが言って、キッチンへ向かった。



リノアはドレスを一人用ソファーに掛けると父親の隣に座った。



かつては反発していた父親への気持ちは、長い月日が労りや思いやりに変わった。この親子の深い溝はしだいに消えていった。



「お父さん、パーティーに着ていくドレスが決まったのはいいんだけど、何のパーティーなのかしら?」


リノアが父に尋ねた。




「ティンバーだ。新聞に載っていただろう?……来月はティンバー独立記念日があるから、その催しだ」



カーウェイは煙草に火をつけた。白い煙が天井に上がり、しだいに消えていった。 



「ご婦人方も招かれているし、軍隊や政財界の人間以外も集まる。……ティンバーの作家や画家も来るそうだから、退屈しないだろう」



父親の関係で招かれる堅苦しいパーティーはリノアが苦手としていることを知っているのか、カーウェイは言った。



しかし、途中からリノアは父の話をよく聞いていなかった。





(……ティンバー?)





リノアは茫然とソファーに佇んだ。





カーウェイは先ほどまでリノアが読んでいたテーブルの新聞に気がついた。



「……あのバラム・ガーデンのSeeDの司令官だった男だな。……なかなかの切れ者みたいだな」



少し目を通して、新聞をテーブルに戻した。




「………ティンバーの治安も昔よりかはまともになったようだ。来月の記念式典に向けて今は厳戒体制だろう。……大丈夫だ。うちの特殊部隊も護衛としてつける」



カーウェイは煙草の煙を吐いて、相づちのない娘の方を見た。



リノアは新聞記事をただ茫然と見つめていた。



(………聞いていないようだな)



カーウェイは心の中で苦笑しつつ、複雑な思いでいた。



リノアはかつて魔女暗殺作戦に加わった6人についての安否をよく知りたがっていた。

その中でも、スコール・レオンハートという今はティンバー軍にいる男に対する態度は若干違うということに、カーウェイは気付いていた。



(………まさか、ガーデンにいたとき………)




父親としての立場もあってか真相は聞けないでいたが、カーウェイとしては気になっていることであった。

一国の権力者であっても、娘を持つ父親としては他の人と何ら変わりがなく、カーウェイは複雑な気持ちでいた。



「……さん?」





「お父さん」





はっと我に返った。



「煙草の灰……落ちるわよ」


少し呆れた様子で娘はテーブルに置かれたクリスタルカットの灰皿を父の前に差し出した。



(………いけない、しばらく考え込んでしまったようだ)


 
[newpage]




次の日の朝、リノアは図書館に向かった。



カーウェイ邸のある高級住宅街の端に国立図書館がある。



ここのリファレンスが彼女の職場である。



この国立図書館の館長は父親の古くからのよしみで、ガルバディアに戻ってまもないころ、この職場で働かないかと父親から提案された。

本が好きな彼女は快くこの提案を受け入れた。

一般解放の棟の奥には、許可なく立ち入ることが出来ない資料が保管されており、父親から頼まれた資料を取り寄せるのも彼女の仕事であった。

館長もカーウェイ氏と馴染みの仲であったので、そのことを黙認していた。

この図書館の歴史は古く、趣のある白い石造りの建物や、シャンデリアに照らされた木製の書棚の並んだ佇まいがリノアは好きだった。

同僚や先輩に挨拶を済ませ、リノアは持ち場である返却や貸し出しを受け付けるカウンターの椅子に腰を掛けた。

昼前になり、あと少しで休憩時間になるというところで、リノアは貸出しにやってきた人物に、笑みを浮かべた。


貸し出しにやってきたのは10歳くらいの少年だった。毎日のように図書館へ来ていた。ただ借りた本を返し、別の本を借りるというやりとりであるのにそのうちに二人の間に特別な親近感が沸き上がっていた。



「……これ、お願いします」



少年はおとなしく、生まれはこの国ではないのだろう、ガルバディア人独特の黒髪ではなく、茶色の髪をしていた。瞳は澄んだ蒼で、長い睫毛の下に伏せられている。



リノアは笑顔で受け取り、貸出しカードに日付の判を押した。



「これ、好きなの?」


リノアは彼に本を渡すときに言った。


恥ずかしいがりの少年は黙ってこくんと頷き本を受け取った。



その本のタイトルは『魔女の騎士』


かなり昔に映画化されたが、元は本であり、昔の魔女とその騎士に関する伝説をもとに書かれたものだ。


彼はこれまで何度もこの本を借りている。



「わたしも、とっても好きよ」



リノアの言葉に、俯いていた顔が上げられ、彼の瞳が輝いた。



「……おねえさんも読んだの?」



リノアは少年の顔を見ながら笑顔で頷いた。


「魔女の騎士って……すごいよね。強くて、かっこいいんだ」



「そうね……、おねえさん、騎士が命を懸けて、ドラゴンと戦うところは泣きそうになっちゃったもん」



リノアの言葉を聞いて、少年の瞳はますます輝く。



「僕もあの戦いの話が一番好き」



少年は大切そうに『魔女の騎士』を胸に抱えた。ハードカバーの紅い布張りのその本はかなり読み込まれて、金色で書かれたタイトルはところどころ色褪せていた。



少年はそのタイトル部分を小さな指で撫でながら言った。


「僕も魔女の騎士みたいに強くなりたいんだ……」



リノアは少年がそう言ったので、微笑んだ。


「………そうね。強くて、誇り高くて……不器用だけど優しくて………一見冷たそうだけど、本当は心が暖かくて………」



リノアが魔女の騎士を思い浮かべているようすをまじまじと見つめる少年の視線に気付いてはっとなる。



「あなたならなれるわよ」

笑顔でそう言うリノアに対して、少年は不安そうに俯いた。



「……僕にもなれるかな?」



少年は本を抱え、俯いていた。





この少年は学校にしばらく行っていなかった。



普通だったらこの平日の昼間なら学校に行っている時間である。


あるとき、毎日のようにこの図書館に通う少年に訊いたことがある。

「学校は……?」

いつものように本の貸し出しに来た少年にリノアは尋ねた。
それまで彼女の質問を無視することはなかったのだが、今回の問いに彼は完全に黙ってしまった。


「……嫌いなの?」


少年は黙ったまま頷いた。

蒼い瞳が不安で少し潤み、下に轢かれた絨毯を睨んでいた。

リノアは彼を安心させるべく、微笑みながら言った。


「おねえさんも学校あんまり好きじゃなかったなぁ」


息の詰まりそうな規則と、親に引かれたレールに何ら疑問も持たない各界のご令嬢が集まる女学校に彼女は通っていた。

名門お譲さま学校を出て、ゆくゆくは親が連れてきた人と結婚する……

……それじゃただの花嫁修行よ……


リノアは教室で授業を受けているとき、窓の外に流れる雲をぼんやり見ながらそう思っていた。


それは彼女がガルバディアの家を飛び出して、ティンバーに行く前の話である。



「……そうなの?」


怒られるかと思いきや、思いがけない発言に、少年は顔を上げ、目を丸くした。






「そうよ」

やっと少年が顔を上げてくれたことが嬉しくて、リノアは微笑んだ。



「おねえさんが通っていた学校……それはそれは厳しい規則があってね………」



リノアは面白ろおかしく、自分が通っていた学校の規則の厳しさについて語った。

有力者のご令嬢ばかり通う学校だけあって、普通の学校ではありえないような規則や笑ってしまうような規則までいろいろあったのだ。


学校が好きではないこの少年と通ずるところがあるらしく、このことをきっかけに二人は仲良しになった。



「……あなたならきっと、素敵な騎士になれるわ……」


もう一度リノアは言い聞かせた。



「……わたし、あなたがとっても優しいってこと知ってるし、勉強だって頑張ってるもの」



彼が、入口の門から図書館までの石詰めの道のりを横切る蟻の行列を踏まないように歩いていることだって知っているし、重い荷物を持って階段を上がろうとする老人の鞄を持ってあげることを知っていた。
学校に行っていない分、さまざまな書物を読み、その頭に多くの知識を吸収していた。


「……あの彼と違って、返却日だって守ってくれるし」 


リノアはロビーに現れた長身の男性を一瞥すると、少年にウインクしてみせた。



少年は最後にっこり笑って、その場を立ち去った。




そして、入れ替わりで先ほど言っていた「あの彼」がリノアのいるカウンターへやって来た。



「やぁ、リノア、久しぶり。これ頼むよ」



長身長髪のその男は髪を後ろで束ね、グレイのスーツにピンクのネクタイをしている。


平日の昼間と言えば、図書館は近所のお年寄りや小さな子連れの主婦、調べものに来たお勤め人と、かなり地味な身なりの人が多い中、この人物の出で立ちはかなり目立っていた。



「……そんなことより、アーヴァイン。まだ返してない本があるでしょ?」


リノアは受け取った本から視線を彼に移した。


リノアからのきつい視線を遮るように、「まあまあ」という身振りをしながらアーヴァインは笑った。

彼はガルバディア軍のに勤めているので、ときどき、資料を集めにここを訪れることがあった。
かなり延滞しているけれど、彼の所属先は上層部のエージェントとしての機能も担っている。、彼の仕事に支障があると、もはや国家問題になりかねない。

リノアは渋々渡された本をチェックし、カードに日付印を押した。


「それよりさ、ご飯食べた?ランチに行かない~?」

アーヴァインはカウンターに腰を下ろし、長い足を組んで、宙に投げ出した。

彼のこの軽い雰囲気は、はたから見ればもはやナンパであったが、彼のことは昔から仲間であったので、リノアはそれに気を留めることなく、左手首に掛けている華奢なシルバーの腕時計を見た。


「うーん、あと20分くらい……」

「あ…」

リノアが言うのを途中で遮り、彼はと呟いた。


彼の視線の先には、重そうな書類の束を抱えた真面目そうな青年がいた。カウンターから十数メートル離れた、ロビーの入り口に立っていた。黒色の地味だが高質なスーツを着こなし、はたから見ればやはりナンパをしているアーヴァインを睨んでいた。


「あちゃ~。熱心だね~。やっぱり僕はここで失礼するよ~。ランチはまた今度でいい?」


アーヴァインはひそっとそれだけ言うと、さっさと彼とすれ違って出入口へ消えていった。



「リノアさん……お昼ご飯はもうお済みでしたか?」



カウンターに歩みより、真剣な眼差しをリノアに向け、その青年は言った。



彼の名は、アレン・ロバート。父親は上院議員である。彼はガルバディアトップの大学を主席で卒業した後、軍務省に入り、高級官僚として勤めている。入学最難関の法学部にいたらしく、主に軍事法を専攻していたらしい。

つまり、彼はエリート中のエリートだった。


年はリノアと同じで、清潔感のある短い髪型や、意思の強い黒い瞳は、好印象を与える。整った顔立ちは、真面目な雰囲気と彼が与える信頼感をいい具合に引き立てていた。



「いや、まだですけど……」

リノアは遠慮がちにそれに応えた。



彼とは、1年程前に父が招かれたパーティーに自分も出席したとき出会った。



それからこの図書館に彼が来たときに再会し、以来こうしてときどきやって来てはリノアをランチに誘っていた。


彼は官僚であり、法律を専門としているので仕事柄よくここへは来るのだが、あまりに熱心にリノアをランチに誘うので、リノアは若干困っていた。



しかし、彼が軍務省の高級官僚であることや、彼の父親が有力代議士であることをふまえ、自分の父親の仕事柄、失礼があってはならないと考え、いつも断れずにいた。



「僕は、外の噴水の前のベンチで待っているので……」



そう言うと、アレンは颯爽と出入口の方へ向かった。

その姿を少し困った表情で見送っていると、リノアは古い柱時計がゴーンゴーンと正午を告げる音を鳴らした。


リノアはふうと溜め息をついて、立ち上がり、カウンターの奥へと消えた。



[newpage]



職員用ロッカーに置いた鞄や上着を取り出していると、同僚が駆け寄ってきた。



「リノアっ。またあの彼来てるわね~」

意味深な笑みを浮かべながら同僚でもあり、女学校のクラスメイトでもある彼女は言った。その女性は、マキアと言って、厳しい女学校の生徒のわりには、やんちゃな方で、リノアとは学生時代から気が合った。



「彼、ガ大(ガルバディア総合大学)卒業の、高級官僚なんだって?お父さんから聞いちゃった~」

彼女の父親も同じく高級官僚である。所属先は違うらしいが。



「エリートだし、優しそうだし、おまけにカッコいいし!いいじゃない~?!私もエリート官僚夫人になりたいわぁ」

と言いながら、リノアの反応を楽しむように視線を送る。



「……そんなんじゃないわよ」


リノアはそんな彼女の視線に目もくれず、てきぱきと外出の準備をする。



「またまたそんなこと言っちゃって!あんなに熱心にあんたのこと想ってくれる人、この先巡り会えるかわからないのよ?」

そう言いながらリノアの肩をひじで軽く小突いた。


「……そんなの、まだ分からないじゃないの」


リノアの言葉に、マキアは口をへの字に曲げ、やれやれという手振りを見せた。


「私も人のこと言えないけど……そろそろお父さんを安心させてあげなきゃ。また、いつ倒れるか分からないんだから」


その言葉にリノアは、忙しく動かしていた手をぴたと止めた。


彼女の父親は、リノアがガルバディアに来てまもなく倒れた。手術を余儀なく施され、結果的には成功したが、仕事に明け暮れ、自分のことを陰ながら気にかける父親に対し、リノアは心配していた。




父を安心させること、それも大切かもしれない……


彼はいいひと……それも確かだ………




でも……… 




そこで思考は停止してしまう。



リノアは複雑な気持ちを抱えたまま、図書館を後にした。






「リノアさん!」



アレンは図書館の敷地内にある噴水前の白いベンチから立ち上がった。



リノアは軽くお辞儀をすると、こちらへ駆け寄った。

そして、うーんと伸びをして、アレンは空を見上げた。雨の多いこの地域には珍しく、空は雲ひとつなく青く澄み渡っていた。

「今日は気持ちのいい天気ですね……。何か食べたいものってあります?」


リノアとアレンは、門に続く並木道を歩きながら、今日のランチをどうするのかを話した。


特に思い付かなかったので、店は彼に任せることにした。




その店に行くまでの間、アレンとリノアは、最近読んだ本の話や、観た映画、行きたい美術展の話などをした。


彼はエリート官僚だが、音楽や本に詳しく、スポーツ好きで、おまけに愛犬家で、家族をとても大切にする。




確かに、彼の奥さんになれる人は幸せだ……

優しいし……



もの知りだし……


カードなんかに熱中しないし、バトルなんて無縁。


ムスッとしていないで、ちゃんと自分の気持ちを誠意を持って話してくれる。



そして、アーヴァインのような軟派な雰囲気が全くない気遣いができた。


「……すみません。無理に誘うつもりはないので、遠慮しなくていいんですよ」


リノアがぼうっと考えているのを気づいたのか、アレンは心配そうな表情で言った。


「あ、いや……無理だなんて、そんな……」


リノアは慌てた様子で、手を振って応えた。


でも、また考え込む。



(……無理に誘うつもりはないから遠慮はいらないなんて………なんだかこっちが断れないのを知って言ってるみたいじゃない。………それに、そんなことないって言ったわたしの方が、好きで誘いに乗ってるみたいじゃないの……)


リノアは知らずに眉間に皺を寄せた。



(……何考えてるのよ。彼が本当に気を遣って言ってるのかもしれないのよ。………それなのに、こんな意地悪なこと考えるなんて………)


リノアは勝手に考え、勝手に落ち込んでいた。


ランチはどうだっかと言うと、それは、彼のセンスが良かったから、店の雰囲気も良くて、料理も美味しかった。


女性が好みそうな店だったが、そのカフェはそこに媚びを売ることなく、その店の持ち味をしっかり出していた。オーガニック野菜を中心にしたランチメニューが評判らしい。



ランチを終えた後、アレンは図書館までリノアを送ってくれた。


彼はこの後、行く所があるそうで、門の所でお別れだった。

二人は、午後の日差しを浴びながら、カフェから図書館までの道のりを歩いた。

道路脇に並んだ並木からの木漏れ日が、ふたりに温かな光を当てた。


「……リノアさんって、心の中ではお喋りなんじゃないかな」

アレンがそんなことを言い出した。



「え……?」


意外な言葉にリノアは目を丸くする。



アレンはそのリノアの表情に微笑んで、「ここ」と彼の眉間に指を当てた。



「何か考えてるとき、眉間に皺を寄せるでしょ?」



「……眉間に……皺?」

リノアは訝しげに眉を寄せる。


「ほら、それだよ」


アレンは爽やかな笑顔で言った。

図書館の門に辿り着き、二人は立ち止まった。リノアはお礼を言おうとしたけど、彼が自分の名を呼んだので、その言葉は遮られた。

「リノアさん、僕は正直、君がいつもどんなことを心で呟いているのか、分からない。……よく、言わなくても分かる仲っていうのがあるけど、それは都合のいい解釈に過ぎないと思うんだ。……勝手に相手の心を解釈して、勝手に納得する……。僕はそんなご都合主義は好きじゃない。…………君が、もし良ければ、少しでも何かに思うことがあれば、………僕にも教えてくれないかな?……そうすれば僕も何か力になれたり……あるいは、話すだけでなんとなく気分が軽くなるかもしれない……」

アレンの瞳は真剣だったが、表情は穏やかだった。目の前にいる人を受け入れて、包み込むような優しい顔をしていた。

リノアは何かに言おうとしていたが、何を言えばいいのか分からなかった。

そんなリノアの心中を察してか、アレンは腕時計を見て、慌てた様子をみせた。

「もう、僕は行かなきゃ。今日はどうもありがとう。………今の話、たいしたことじゃないから、あまり深く考えないで」

そう言うと、足早に駅の方へ消えてしまった。

リノアはぼうっと彼がいなくなった空間を見つめていた。


(………眉間に……皺……?)



言葉の通り、彼女の眉間には皺が寄っていた。


チリンチリンと後ろから来た自転車にも気付かず、彼女は指を眉間に当て、その表情のまま立ち尽くしていた。

彼女が我に返ったのは、次のこの一言だった。


「いい男じゃな~い?」


「?!……アーヴァイン!!いつからそこに?!」

「いつからって……ずっと後ろにいたもの」

アーヴァインは並木に背を預けて、にやっと笑っていた。




「付けてたの…?!」


リノアが非難の視線を浴びせる。




「違うよ~。たまたま僕もあの店にいたのさ。邪魔しちゃ悪いと思って、何も言わなかったけどっ」

アーヴァインは慌てて否定した身ぶりを見せた。



「それに、僕はまだまだ図書館に用があるから、ここまで戻ってきたんだよ」


と付け足した。



「そうなんだ」と、リノアは先ほど非難の視線を投げたことを申し訳なく思った。


アーヴァインは、リノアの心中を察して、話を変えることにした。

「それよりさ~、来月のティンバー独立記念式典行くだろ~?僕もお伴するよ~。ボディーガードとして頼まれたちゃったから。よろしくね~」


そう言って、アーヴァインがウインクしてみせた。


「そうなの?アーヴァインも行く?」


リノアは内心ほっとした。ティンバーに行くのは、レジスタンスグループにいたころ以来だ。大統領暗殺計画(今考えると無謀すぎる)に失敗した後、身の安全を期して街を離れてから、一度も訪れていない。
自分が魔女であること、ガルバディア軍将校の娘であること、レジスタンスに所属していたことを考えると、迂闊に近づけないところであった。





それに………





「リノアのお父さん、気を遣ってくれたのかもね」



リノアの事情を知っていて、さらに一緒に過ごした仲間の一人がいるとなれば、安心できるだろう。


リノアは父親の心遣いに感謝した。








「………にしてもさあ~、彼、熱心だよね~」



アーヴァインがにやにやと笑いながらリノアの様子を伺う。




「もう、会って1年なんだろ~?」



リノアは彼に誤解されてはたまらないと思って、すかさず否定した。



「違うわよ!父の仕事柄、食事をするくらいなんだから!」

「え~?食事だけ~?」

アーヴァインは驚いた。彼はかなり熱心に足しげくここへ通っている。それなのに食事だけだなんて

意味深な笑みを浮かべながら、リノアを見る。その視線に彼女は眉を訝しげに傾ける。



「……何よ?」




「べっつに~」





「別に」それは、かつてよく一緒にいた人の口癖だった。

リノアはアーヴァインが何を考えているのか思い当たって、頬を赤くした。



「……悪かったわね」「悪かったな」




リノアが言おうとしたことは、アーヴァインの言葉にあっさり重ねられた。



彼はしてやったりと、ぱちんと指を鳴らして、リノアに微笑んで、門の中に入った。





リノアは数メートル先を進む彼の背中を、しばらく見つめていた。







リノアは苦笑も混ざった溜め息を少しつくと、門の中に入っていった。




                               《永遠の花 9章》へ続く