壮年の男は先ほどから時計を気にしている。

いくら時計を見ても、さほど時間が進んでいないことにフューリー・カーウェイはため息をついた。

(もう着く頃だろうな)

(そろそろだろう)

ずっと彼は待っているのだ。

この家への訪問者を知らせる「チャイム」を。




幸せのチャイム




バラムの閑静な住宅街。その一角によく手入れされた白い家がある。二階建ての家の一階には大きめの書斎があり、一人の壮年の男が机に向かっていた。元ガルバディア軍総帥フューリー・カーウェイである。

机のデスクマットにずっと挟んである小さな紙切れに目を遣る。

『リノアのことは任せてください。落ち着いたら、必ず挨拶に伺います』

これは『彼』の字ではない。彼に伝言を頼まれた、あの額に傷のある白いマントの男の字らしい。カーウェイはガルバディアを脱出し、バラムに亡命した。そのときに手を貸してくれたのがその男と彼の二人の仲間だ。彼らは傭兵業、つまりは「何でも屋」をやっており、ある人物から自分の国外脱出を手伝うように依頼されたそうなのだ。
今から約三ヶ月前、カーウェイと娘の愛犬アンジェロ は彼らに連れられこのバラムにやって来た。ただ、愛犬アンジェロは娘の元に届けると言って、彼らが連れて行った。
娘のリノアも国を追われ、今は人の少ないセントラ大陸にいると聞く。でも過剰な心配はしていない。なぜなら娘の隣には「騎士」がいるから。

つい最近、娘とその騎士から連絡があった。近いうちにバラムにーーー自分に会いに来ると言った。
そして、彼らがここに来る今日を迎えたわけだ。

(さっきから、時計ばかり見てしまうな)
苦笑しながら、もう一度机に挟んだ紙切れを見た。

そう思ったところで、やっと聞こえてきたのだ。

彼が、聞きたかったような聞きたくないような複雑な思いの混じる「チャイム」が。


  * * *


娘に会うのはおよそ3ヶ月半ぶりだ。変わらぬ姿であえて何より安心した。
(むしろ、健康的になったか?)
ドアを開けて互いの無事を喜ぶように父娘は抱き合い、そのときにカーウェイはなんとなくそう感じた。

カーウェイは二人を応接室に通した。
リノアとスコールはかしこまった様子で二人がけソファに座った。その向かいの一人がけのソファにカーウェイは深く腰を下ろした。
すぐに昼間の間だけ雇っている家政婦が紅茶を用意して持ってきたが、彼らはそれに手をつけることなくじっと黙っていた。

重い重い沈黙をスコールは緊張した様子で破った。

「今日は、お願いがあって伺いました」

カーウェイは何も言わなかった。彼が言うことはわかっている。


「お嬢さんを、俺にください」


この言葉は娘を手離すときを告げるチャイムのようだと思った。大切な娘の手を引いていく訪問者を告げるチャイムだ。

リノアから連絡をもらったとき、もちろん覚悟はできていた。
答えなんてとっくに決まっている。

振り返ると娘のことはずっと彼に任せきりだった。リノアが魔女になり、どうしようもなくなったとき、彼が娘を守ると言ったから、ガーデンにリノアを預けた。その後二人が離れていた期間でさえ、娘の心は彼に囚われたままだった。そして、娘は彼の隣で幸せそうに笑っている。断る理由がない。

カーウェイは覚悟を決め、蒼い双眸を向けるスコールを見つめ返した。

「・・・・・・リノアのこと、頼む。幸せにしてやってくれ」

「はい、必ず幸せにします」
そう言った彼の蒼い瞳には一切の揺るぎもなかった。言い終わった後に固く結ばれた唇にその決意が表れていた。

二人の様子を緊張した面持ちで見届けていたリノアがここでふうっと安堵の息を吐いて微笑んだ。

「あのね、お父さん・・・・・・結婚式を挙げようと思うんだ」
そう言いながら自分を見るリノアの表情は、本当に亡き妻そっくりだとカーウェイは思った。

「ああ、そうしなさい。落ち着いてからでもいい」

カーウェイがそう言うと、リノアは少しぎこちない笑みを浮かべた。

「それが、もう日にち決めちゃったの」

申し訳なさそうにリノアが言った。
別に怒るつもりはない。二人のことだから二人で決めればいい。リノアを不安にさせないように落ち着いた声で訊いた。

「そうか。いつなんだ?」

ぎこちない表情を浮かべリノアは小さく答えた。


「来月」


「・・・・・・来月?!」
カーウェイはこれまで誰も聞いたことのないような素っ頓狂な声で聞き返した。

リノアは少し恥ずかしそうにスコールと顔を見合わせた。

「お腹・・・・・・目立つ前に、式挙げたいの」
そう言いながら彼女はお腹に手を当てた。

「な・・・・・・」
カーウェイは絶句した。そして、交互にスコールとリノアを見る。
リノアは愛しそうにお腹をさすり、スコールは表情を変えず、言葉が出てこないでいるカーウェイを見ていた。
「そういうことです。順番がいろいろ違って、すみません」

(な・・・・・・なーにが「すみません」だ!この若造!全部確信犯だろうが!!)

思えばこの男は冷静で頼りになると言えば聞こえはいいが、妙にふてぶてしいところがある。まあ、自分も人のことを言えないが・・・・・・初めて会った魔女暗殺作戦の日、その後も任務の依頼や作戦行動を共にした時の記憶が蘇る。

カーウェイの肩は震えていた。
憤りで震えているのかと最初は自分でも思ったが、違っていた。嬉しさで胸がいっぱいになって震えていたのだ。

嫌味の一言や二言、この若造に言ってやろうかと思ったが・・・・・・やめた。実際そんな気も起きなかった。
生まれてくる生命に対して文句も嫌みもわいてこない。代わりに出てきたのは心からの祝福の声だった。
「おめでとう。・・・・・・本当に・・・・おめでとう」
最後の方は声が掠れていた。
それくらい、嬉しかったのだ。

娘の手を引いて共に人生を歩むと誓う人がこうしてやって来たこと、新しい命が来てくれたことーーーそれは幸せのチャイムだ。

リノアはカーウェイの言葉を聞いて幸せそうに微笑んだ。そして、スコールと顔を見合わせてもう一度微笑んだ。

カーウェイは前のめりになった姿勢を戻し、ソファの背もたれに身体を預けた。そしてスコールとリノアを見つめた。この若い二人をどこまでも見守ろうと思った。

  * * *

「なんだ、もう行くのか」

カーウェイは玄関先まで二人を見送っていた。
「うん。これからガーデンに行って、クレイマー夫妻にご挨拶しなきゃ」
結婚式は婿の生まれたウィンヒルで行う予定だそうだ。カーウェイ自身もこの二人も事情が事情なので、近い親族と親しい人のみを招いてささやかに挙げるそうだ。

「それに、いろいろ準備があるのよねえ」
リノアは困った表情を浮かべたが、その瞳はきらきら輝いていた。忙しくも楽しく準備を進めているようだ。

「そうか。でも無理はするなよ。大事な体なんだから」

リノアは「うん」と返事をした。
「それじゃあ、元気でいてね。お父さん」
父と娘は抱き合った。

「頼んだよ。スコール君」
カーウェイはスコールの肩を叩いて、彼の手を握った。スコールも「はい」と言って頷き、握り返した。

ドアを出て、庭を渡り、バラムの住宅街の通りを歩く二人の背中を、カーウェイは庭先まで出て、消えるまで見送った。

完全に二人の姿が消えた後、彼は空を見上げた。
美しい空だった。
陽に照らされて柔らかに光る雲の上から、妻がのぞいているような気がした。

きっと、彼女にも聞こえたはずだ。
幸せのチャイムが。

「ジュリア・・・・・・リノアが・・・・私たちの子どもが・・・・・母親になったよ」

空にいる妻に向けてカーウェイは呟いた。


(おわり)